浜松宿の東海道筋には東・中・西の番所が設置されている。それに対応して本坂通におかれた宿場北側の番所である。「延絵図」には枡形の道筋と番所、木戸が描かれている。「宝暦絵図」には本坂通の西高町と名残村のとの境に土塁と柵に囲まれた名残番所と、その北側の木戸が描かれる。木戸からは道は枡形となり、西に折れる。その四年後に描かれた「安政元年浜松城絵図」もほぼ同様の描写である。(番所の周囲に土塁と柵が描かれる点が異なる)。ここまでが浜松宿で、ここからは本坂通が、三方原追分を経て気賀宿へと続く。番所の位置は、現在の鹿谷緑地から本坂通をはさんで西側付近と思われる。なおこの北側は、戦前には浜松憲兵隊庁舎が置かれていた。現在も跡地には「第二号」「陸軍用地」との標柱が残る。
出典:東海道をいく/浜松市文化財課