市内で初めてアスファルトの舗装工事が行なわれたのは昭和二年の国道田町の百メートルで、同年の田町・元城線の改良工事には浜松最初の歩道と車道の分離帯が設けられた。 昭和四年には浜松駅から鍛冶町へ通ずる停車場通りの工事が完成した。また距離の最長は高町から飛行隊に至る姫街道の四千メートルの改良工事で、曳馬(ひくま)坂と呼ばれた高町の坂は六年に花崗岩の石畳が敷かれ勾配もゆるやかになり、十年犀が崖には旧道の東側に新道が設けられ通行が便利になった。
高町公園には、二度も総理を経験した若槻礼次郎(1866-1949)にかかわる石碑がある。 御影石の石碑は、「偉大也協力一致之功」(昭和6年、1931年)という礼次郎の揮毫が彫られていた。道路拡幅の都市計画が地元の協力で実現したシンプルな感動がそこにはある。出典は「三国志演義」らしい。
出典:浜松市史 市内道路の改良 508 ~ 510 / 729ページ